コメットさんにも華がある (ジェッツコミックス)
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本日、上記の作品がKONOZAMA状態でポストにブッ込まれていたので読んでみました。
ってかアマゾンでKONOZAMAにならないように複数の書籍を買ったにもかかわらず、コレだけ別途送付ってなんかもーイライラするんですけど何とかならんのですか。
つかAMAZONの書籍メール便て何であんな変なサイズなんですか。アレ全部すっぽり入るポストなんて市販されて無いと思うんですが。
幸いにも現在地は牧歌的な住宅街なので抜き取って盗もうって言う人はいませんが、京都でも姉小路から南の市街地だとあんなの「盗ってくれ」と言わんばかりなので郵便事故多発してるんじゃないだろうかと思う訳で。
(実際自分もポストから取り出す時KONOZAMAのお陰で蓋が開かなかったのでコレだけずっぽり抜き出しました)
えーと、まず近況から。とりあえず生きてます。洛さんも元気です。ていうか時々ぼーっとしてて洛さんの水とか餌とかを取りかえるの忘れて殆ど水が残って無い中でばたばた水浴び始めて「あーごめんごめん」と水と餌を替える、というダメ飼い主です。
あと、もう少しで手持ちのNCAAバスケ関連のビデオデータを全部BD-Rに移し替えられるので、作業が全部完了した時にはこちらのブログ、及びNCAAバスケブログ、mixi(ニックネームWOGで検索すればそれは当方です)などで「ビデオ要る人いないかえ~」と募集かけますので今暫くお待ちください。
近況報告が長くなりましたが、最初のリンクの『コメットさんにも華がある』の読後感想など。
『レナード現象~』に続く川原泉の「~がある」シリーズです。『レナード現象』の時には「ちょっとこの高校生は余りにもリアリティが無さ過ぎ・・・」と思っていたのですが、『コメットさん』になると「偏差値85超の学校」(10ページ本文より)などの説明が加わりました。恐らくWOGと同じ感想を『レナード現象』で抱いて作者の川原さんに指摘した人が多かったのでしょうかね。まぁ今時首都圏以外の地方の学校で偏差値85超の共学高校なんぞは存在しないので科白からも「これは飽くまでファンタジーですから」ということを強調したいんでしょうね。
あと、『レナード現象』の時に感じた違和感として「何で今時の高校生がケータイ持ってないんだよ」というのがありましたがコレも『グレシャムには罠がある』(本文76~118ページ)で「いきなり何十億もの負債を背負って夜逃げした両親に取り残された貧乏学生(昼ごはんが一握りの砂糖のみ)」という設定で違和感が回収されているので、こちらもやはり何らかの指摘があったのだと考えます。
何せゆとり教育全盛のこの時代に文系にも数学や物理をバリバリ教えているという高校なぞ現実には皆無に等しいのでやっぱり「川原世界」という結界の中で展開されている物語だ、ということは言えるのですが。
ゲームが大好きとか科白の中にTOEFLとかTOEICなどの言葉が出て来る辺りは現状の高校生の事情に配慮しているとは思いますが、しかし、やはりココまでもってしても残る違和感が。
それは「教育現場にパソコンが全く現れない」ということです。現在の高校生は「情報」の教育は必須科目になっており、パソコンを用いた授業なども多く行われている(情報に力を入れている高校はパワーポイントなどまで作成させています)のですが、そういうものは一切出て来ず、また、授業も昔ながらの「黒板にチョーク」のみです。最近では中学や高校の授業をパワーポイントで行う教師もいるのですが(お陰で教師の仕事量が倍に増えたと言っても過言ではありません。パワーポイント、見る方は簡単ですが、内容をまとめる&ファイルを作るのはめちゃめちゃ時間をとられます・・・orz)そういったものや「情報」教育については一切触れていません。
まぁ端的に言ってしまえば「川原泉の中での『学校教育』は1980年代で止まっている」ということでしょうか。共通一次に苦しめられ、またひのえうま以外の生まれ年の人間はマスプロ教育の洗礼を否が応でも受けていたあの頃の教育風景が憧憬のように描かれていると言っても良いでしょう。
因みにパソコンに関する描写についてもSNSなどの存在は一切描かれておらず、登場するのは「大学の理学部の研究室」(本文63~64ページ)という、矢張り「80年代の教育現場」を彷彿とさせる場面のみです。(Windows95が登場するまでは「パソコン=理系」という等式が成立していました)
しかしそこでも出て来るメディアが「バックアップ用のディスクやMO」(本文64ページ)という状態。多分今の大学生ですら「MOというメディアが嘗て存在していた」という事実など知らないのではないでしょうか。現在はWindows7のインストールのディスクもDVD-Rですし、録画媒体としてはBD-Rが主流となりつつあるこの2011年においてMOってなんじゃい、と思って最後のページを見てみたら、何とこの作品(『その科白には嘘がある』)は2006年に描かれたものだと判り「あー、じゃあまだMOとかあった時代だわね」と納得しました。(因みにWOGはCD-R及びDVD-Rの前はMOではなくZIPを使っていました。ガラケーと同様、あの時代の大容量記録媒体は世界基準だとZIPでMOが普及していたのは日本のみだったので)
平たく言えば執筆されてから単行本が出版されるまでに5年以上掛かっている状態なのですが、コレは過去に傑作を遺している川原泉ならではの編集者からの御目零しなんでしょう。
さて、タイトルの「偏差値85」はコレで何とかクリアしましたが、その後の「植物人間」というのは何かと言えば、川原泉における男性の描写です。勿論こういった男性の造形は「80年代の少女漫画の一種のテンプレ」と言ってしまえばそれまでなんですが、偏差値85超の学校の男子をこう描くのは川原泉が「こうあって欲しい」と願う像であって、現実の「偏差値の高い高校の男子生徒の実態」とは大きく掛け離れています。
自分の経験から言えば、この「草食男子全盛(というか崇拝)時代」の現在、数少ない「肉食男子が生存を許されている場所」が「偏差値の高い私立中高一貫校」です。彼らは中学受験に成功した段階から「勝ち組」の栄誉を得たわけですから必然的に心のどこかに傲慢さを宿して思春期を過ごします。しかも彼らは男子だけという特異な環境で教育を受けますから女性に対しては「男である自分が従わせるべき存在」という見方を、少年マンガやエロ本、そして自分の母親などを見ながら培っていきます。実際にWOGは大学時代、開成や灘の出身者の傲慢さ加減には「ええ加減にせーや」と辟易していました。
しかるに、川原泉の世界の中での「偏差値85超の学校の男子生徒」にはそういう類の傲慢さはあまりみられません。よしんばあったとしても「家が裕福であることから来る傲慢」(『グレシャムには罠がある』)であったり、「芸能人であるという優越感から来る傲慢」(『コメットさんにも華がある』)であったりしています。彼らを「草食男子」と一刀両断に斬ることも可能でしょうが、どちらかと言えば彼らは「食して」すらいません。つまり「草食男子」でなく「草男子」なのです。女性、もっと端的に言えば女性器に対する獰猛なまでの執着心は川原泉の中の男子には存在しないのです。(この辺りはWOGだけでなく多くの識者が指摘している処です)
まぁそれでもこの「どっかズレてる川原ワールド」を否定するつもりもありませんし、このまま淡々とお話を描いていって下されば、一読者としてはそれで充分満足なのですが。
・・・というわけで読んだマンガに対してひたすらツッコムという形でブログを書かせて頂きましたが、川原泉は女性読者の間でもジャストフィットする層とそうでない層の落差が激しい作家なので手放しで薦めるつもりはありません。好きな人だけ読んだらええんでないの、という処がWOGの正直な感想です。
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つかAMAZONの書籍メール便て何であんな変なサイズなんですか。アレ全部すっぽり入るポストなんて市販されて無いと思うんですが。
幸いにも現在地は牧歌的な住宅街なので抜き取って盗もうって言う人はいませんが、京都でも姉小路から南の市街地だとあんなの「盗ってくれ」と言わんばかりなので郵便事故多発してるんじゃないだろうかと思う訳で。
(実際自分もポストから取り出す時KONOZAMAのお陰で蓋が開かなかったのでコレだけずっぽり抜き出しました)
えーと、まず近況から。とりあえず生きてます。洛さんも元気です。ていうか時々ぼーっとしてて洛さんの水とか餌とかを取りかえるの忘れて殆ど水が残って無い中でばたばた水浴び始めて「あーごめんごめん」と水と餌を替える、というダメ飼い主です。
あと、もう少しで手持ちのNCAAバスケ関連のビデオデータを全部BD-Rに移し替えられるので、作業が全部完了した時にはこちらのブログ、及びNCAAバスケブログ、mixi(ニックネームWOGで検索すればそれは当方です)などで「ビデオ要る人いないかえ~」と募集かけますので今暫くお待ちください。
近況報告が長くなりましたが、最初のリンクの『コメットさんにも華がある』の読後感想など。
『レナード現象~』に続く川原泉の「~がある」シリーズです。『レナード現象』の時には「ちょっとこの高校生は余りにもリアリティが無さ過ぎ・・・」と思っていたのですが、『コメットさん』になると「偏差値85超の学校」(10ページ本文より)などの説明が加わりました。恐らくWOGと同じ感想を『レナード現象』で抱いて作者の川原さんに指摘した人が多かったのでしょうかね。まぁ今時首都圏以外の地方の学校で偏差値85超の共学高校なんぞは存在しないので科白からも「これは飽くまでファンタジーですから」ということを強調したいんでしょうね。
あと、『レナード現象』の時に感じた違和感として「何で今時の高校生がケータイ持ってないんだよ」というのがありましたがコレも『グレシャムには罠がある』(本文76~118ページ)で「いきなり何十億もの負債を背負って夜逃げした両親に取り残された貧乏学生(昼ごはんが一握りの砂糖のみ)」という設定で違和感が回収されているので、こちらもやはり何らかの指摘があったのだと考えます。
何せゆとり教育全盛のこの時代に文系にも数学や物理をバリバリ教えているという高校なぞ現実には皆無に等しいのでやっぱり「川原世界」という結界の中で展開されている物語だ、ということは言えるのですが。
ゲームが大好きとか科白の中にTOEFLとかTOEICなどの言葉が出て来る辺りは現状の高校生の事情に配慮しているとは思いますが、しかし、やはりココまでもってしても残る違和感が。
それは「教育現場にパソコンが全く現れない」ということです。現在の高校生は「情報」の教育は必須科目になっており、パソコンを用いた授業なども多く行われている(情報に力を入れている高校はパワーポイントなどまで作成させています)のですが、そういうものは一切出て来ず、また、授業も昔ながらの「黒板にチョーク」のみです。最近では中学や高校の授業をパワーポイントで行う教師もいるのですが(お陰で教師の仕事量が倍に増えたと言っても過言ではありません。パワーポイント、見る方は簡単ですが、内容をまとめる&ファイルを作るのはめちゃめちゃ時間をとられます・・・orz)そういったものや「情報」教育については一切触れていません。
まぁ端的に言ってしまえば「川原泉の中での『学校教育』は1980年代で止まっている」ということでしょうか。共通一次に苦しめられ、またひのえうま以外の生まれ年の人間はマスプロ教育の洗礼を否が応でも受けていたあの頃の教育風景が憧憬のように描かれていると言っても良いでしょう。
因みにパソコンに関する描写についてもSNSなどの存在は一切描かれておらず、登場するのは「大学の理学部の研究室」(本文63~64ページ)という、矢張り「80年代の教育現場」を彷彿とさせる場面のみです。(Windows95が登場するまでは「パソコン=理系」という等式が成立していました)
しかしそこでも出て来るメディアが「バックアップ用のディスクやMO」(本文64ページ)という状態。多分今の大学生ですら「MOというメディアが嘗て存在していた」という事実など知らないのではないでしょうか。現在はWindows7のインストールのディスクもDVD-Rですし、録画媒体としてはBD-Rが主流となりつつあるこの2011年においてMOってなんじゃい、と思って最後のページを見てみたら、何とこの作品(『その科白には嘘がある』)は2006年に描かれたものだと判り「あー、じゃあまだMOとかあった時代だわね」と納得しました。(因みにWOGはCD-R及びDVD-Rの前はMOではなくZIPを使っていました。ガラケーと同様、あの時代の大容量記録媒体は世界基準だとZIPでMOが普及していたのは日本のみだったので)
平たく言えば執筆されてから単行本が出版されるまでに5年以上掛かっている状態なのですが、コレは過去に傑作を遺している川原泉ならではの編集者からの御目零しなんでしょう。
さて、タイトルの「偏差値85」はコレで何とかクリアしましたが、その後の「植物人間」というのは何かと言えば、川原泉における男性の描写です。勿論こういった男性の造形は「80年代の少女漫画の一種のテンプレ」と言ってしまえばそれまでなんですが、偏差値85超の学校の男子をこう描くのは川原泉が「こうあって欲しい」と願う像であって、現実の「偏差値の高い高校の男子生徒の実態」とは大きく掛け離れています。
自分の経験から言えば、この「草食男子全盛(というか崇拝)時代」の現在、数少ない「肉食男子が生存を許されている場所」が「偏差値の高い私立中高一貫校」です。彼らは中学受験に成功した段階から「勝ち組」の栄誉を得たわけですから必然的に心のどこかに傲慢さを宿して思春期を過ごします。しかも彼らは男子だけという特異な環境で教育を受けますから女性に対しては「男である自分が従わせるべき存在」という見方を、少年マンガやエロ本、そして自分の母親などを見ながら培っていきます。実際にWOGは大学時代、開成や灘の出身者の傲慢さ加減には「ええ加減にせーや」と辟易していました。
しかるに、川原泉の世界の中での「偏差値85超の学校の男子生徒」にはそういう類の傲慢さはあまりみられません。よしんばあったとしても「家が裕福であることから来る傲慢」(『グレシャムには罠がある』)であったり、「芸能人であるという優越感から来る傲慢」(『コメットさんにも華がある』)であったりしています。彼らを「草食男子」と一刀両断に斬ることも可能でしょうが、どちらかと言えば彼らは「食して」すらいません。つまり「草食男子」でなく「草男子」なのです。女性、もっと端的に言えば女性器に対する獰猛なまでの執着心は川原泉の中の男子には存在しないのです。(この辺りはWOGだけでなく多くの識者が指摘している処です)
まぁそれでもこの「どっかズレてる川原ワールド」を否定するつもりもありませんし、このまま淡々とお話を描いていって下されば、一読者としてはそれで充分満足なのですが。
・・・というわけで読んだマンガに対してひたすらツッコムという形でブログを書かせて頂きましたが、川原泉は女性読者の間でもジャストフィットする層とそうでない層の落差が激しい作家なので手放しで薦めるつもりはありません。好きな人だけ読んだらええんでないの、という処がWOGの正直な感想です。